「勢州軍記」に於いては、「飯篠入道長威」となっている。時代は下るが天保

年間、香取出身の小林重規が上梓した「香取史」にも「チョウイ」伝説を詳し

く記述した上で「飯篠長威」と記すのみで「家直」の名は無い。

「飯篠長威家直」と紹介した「本朝武芸小伝」を柳生厳長翁は「剣道史論」に

於いて「本朝武芸小伝」如きは雑載の書に過ぎざる性質のもので、剣道の起源

については、全然「紀」の記事を引用したに過ぎない、と手厳しく看破されて

いる。しかし、現代、大学に於いて講義されている「武道史」はほとんど「本

朝武芸小伝」の内容をそのまま踏襲しており、一体全体、教育現場では後戻り

している。「チョウイ」の出生地、実家である、香取郡飯篠村の「宇兵衛家」

（現在の金兵衛家）は室町時代から続く「農家」である。「次・三男坊」であ

った「チョウイ」が故あって実家を出奔して、香取の海近くに住み着き「伊賀

守」「山城守」の二つの官途を使い分ける、今迄の「飯篠村のチョウイ伝説」

に本稿は首肯しかねる。

前出の、香取の小林重規翁は平田篤胤に師事し「チョウイ」の「天真正伝香取

神道流」を修めたと云われる。翁の「香取史」に次のような記述がある。

「吾ガ取宮の御手洗ノ井、古ク東方ノ山の半腹（ナカヲ）に在しを飯篠長威が

奴隷此所に来リ汚れたる馬を洗、神甚怒坐て彼ノ奴隷馬と共ニ忽死シ、又一夜

ノ間に山自然崩て此井を埋、故他所説之と云共水不清、故今所移リ、是より神

宮ニ到坂を御手洗坂と云。」とあり「チョウイ」が「奴隷」の使用人か或いは

頭であったとしている。


神崎勉氏の「中世後期における東国の人身売買についての考察」の論文で「香

取将監入道証文」と「はまめ太夫二郎小童売券案」と「弥二郎金子借用状」の

三通の人身売買に関係する香取文書により、香取社の社家が「奴隷」の所有に

関わっていた実態を明らかにされている。

更に、香取社が中世、人身的に支配していた有名な「海夫」は江戸時代では全

く何のことか解らなかったが、近来、網野善彦氏等の研究により序々に明らか

にされた。応永年間、「香取社大禰宜の大中臣長房は「海夫」の船に供与して

いた。斎明帝は「除朝倉社木・・・神忿壊殿」（紀）とあって「神木を伐る事

は天皇さえ許されぬ事であるのに、何故「海夫」の為には非難されぬのか、こ

のような海夫との係わりで「神木」や「神船」に就いてや、「チョウイ」の墓

が「奥の宮」「御荒魂」の鳥居の手前数十メートルの直前に設けられた事実、

即ち「禁忌を憚らず」は何を意味するのであろうか「海夫」の解明が手懸りと

なる。

網野善彦氏の論考によると「海夫」が香取社に直属し下総の風早庄の戸崎・大

堺・行徳・長嶋・武蔵国猿俣関の関銭の徴収に当たった船を「神船」と呼称さ

れた事等でも理解出来るとされている。

更に、中世「関銭の徴収」に非人が当たっていた事を、京都の諸口を通行する

旅人・商人達から短冊と引き換えに北野社の上分を徴収した「童形の牛飼童」

の例や遍歴する供御人が関所料を徴収した事を例示されている。

此等の事を勘案すると、「飯篠・チョウイ」は「飯篠村出身のチョウリ」の意

味での「飯篠長吏」ではなかろうか。「チョウリ」が「チョウイ」に訛り「チ

ョウイ」が定着し、転じて法名になったと本稿では結論す。

訛りで当地方で有名なのは「関八州古戦録」に登場する「鹿伏兎刑部少輔」を

「河童」と称している例がある。「鹿伏兎」がいきなり「河童」では「荒誕

説」として今迄一笑に付しているが、とんでもない間違いである。「河童」は

禿げ頭であり、平安時代「禿髪（カムロ）」と呼んだのであり「カブト」が

「カムロ」となり「カッパ」と転じたのである。

中世非人は自分の意思でその環境に身を投じているのであり、後世、江戸時代

の固定化された賤視観や通念はこの時代には全く無い。或いは、「穢」を忌避

する観念は東国では「西」とは比較にならぬ程薄かったことも明記しなければ

ならない。

「刑吏」として「長吏」が古い時代より「刀」を所持していたことは「追捕の

役」の意からも当然で、前掲の網野善彦著「異形の王権」に詳述がある。（京

阪では市中警邏のお供、捕り物、罪人引き廻し等を行い、関東では後世、江戸

で「山田朝右衛門と云人世々斬之を業とす、俗に首斬朝右衛門と云、山田氏住

於麹町元来剣法の師也」と守貞浸稿に記されている。）